昨年通った週末学校でこの本の存在を知って、すぐに読まねばっと思っていながら、今日になってようやく読了しました。
とても平易な文章で読みやすく書かれています。内容は、とても30年前に書かれたものとは思えない、斬新な視点。いえ、この本が斬新というよりも、社会が未だに松下 圭一の提案に全く追いつけていないということなのでしょう。つまり、残念な状況というべきなのでしょうね。
【実は視点は市民自治に】
さて、タイトルが社会教育となっています通り、メインテーマは今日の社会教育の是非、要否を問うものになっています。痛烈な批判の対象は「行政が市民をオシエ・ソダテル」という、前時代的思考錯誤です。
すでに市民の文化活動はお上が"教育"するものでもないし、お上にはそれができる素養も経験値もないとして、市民の文化活動(それが、結果的には生涯学習のようなものであったとしても)は、市民の自治に委ねるべきだとして、いくつもの政策提案を述べています。
【市民の好悪、こそがよって立つ原点】
結局、お上のはるか先をいく感覚をもって広がりを見せる市民の文化活動は、市民がそれをしたい!と思うからこそはじまったのだし、続いているわけです。であれば、そこを行政の既成の枠に当てはめて考えたり、あまつさえ捉えようとすることが、いかに馬鹿馬鹿しいことなのか、よくわかります。
この本は、社会教育を一例として世間に投げかけをしているものですが、投げかけられたその問いの一つ、その真の部分には、市民自治というものがしっかりとある。
つまり、この書は「社会教育の終焉」を書きつつ、「市民自治の萌芽」を訴える本でもあったのです。
いやー、つくづくもっと早く読んでおくべきでした。