「明日の高崎」あらき征二

高崎での日々をつれづれなるままに書き連ねています。

2016.02.22 TAKASAKATSU!の朝活 #76

 今朝の朝活は高崎の若きリーダーシップ、反町恭一郎氏の登壇とのことで、参加してきました。場所はいつもの「Fuku Cafe」です。

 彼とは日頃、高崎Civic Vision Runの活動、そして、ちょっと前までは上州OMの関係でもよく絡んでいまして、頼り甲斐のある男です。いまも、高崎 Civic Vision Run の4thシーズン突入に向けてリーダーシップを発揮してくれていますしね。

 

 「私たちは夢を持ち得るのか?」 私たちの住まうこの社会、いえ視点がはるか上空でした。私たちの住まうこの地域では、人は"夢"というものを持ち得るのでしょうか?

 

 注:パイロットなりたいとかの夢とはちょっと違う"夢"。公民権運動のキング牧師が訴えた「 I Have a Dream !! 」というときの"夢" ちなみに明解さんによると、「夢」には「実際には有りそうにも思われないが、万一実現すればいいなあと思っている事柄」と、「活社会や厳しい現実から遊離して暫時享楽する、甘くて楽しい環境」という解説がありました。遊離して暫時享楽!! 手厳しい、相変わらず明解さんは。

 どちらの解説にしても、実現性が乏しいような前提になっているのが悲しいところではあります。

 

 気を取り直して。"夢"を持つことは自由で、制約も枠もないとすれば、"夢"とは実現し得るものでしょうか? 人それぞれの努力次第? その人その人で置かれている立ち位置によるのか??

 "夢"とは、一人で叶えられるものではなく、人とのつながりの中で実現に向かうものという前提で考えた時、彼の考える夢の実現とは、その夢が人々をどれだけ熱狂させるかによる、ということになります(そこにロックはあるのか!)。そして、その時に大切なのが、熱狂させたその後にも手当があることです。アフターケアっていうんですかね、修理じゃないけど。

 確かによく見かける場面ではあります。シンポジウムやら講演会やらで一時、心の奥底から湧き上がった熱狂も、アフターケアがないことで、本当に一瞬の熱狂に終わってしまうことが。素晴らしい話を聞いている時は、「よし、俺も明日から始めよう!」と思っていても、家に帰って一晩寝るとすっかり冷めてしまっている、なんてことが。そのとき大切なのは、しばらく経って(忘れきっちゃう前に)、「もしもし、そろそろアクションしてみませんか?いっしょに!」っていうささやき掛けがあるかないか。そんなささやき掛けがあったら、一瞬にしろ熱狂してしまった手前、一緒に行動しないわけにいかないですものね。

 

 僕自身が"夢"の実現に向けて動いているような人間なのかどうかは定かではありません。何がしかの公共善をここ高崎に産みたいとは考えていますけど、"夢"の実現を明確にイメージしていないという一点において、やはり僕は熱狂させる側でなくて、熱狂させられる側が、立ち位置として近いようです。

 どちらにしろ、アフターケアは大切にしていきたいものです。

 

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