荒木 征二 の ブログ

高崎での日々をつれづれなるままに書き連ねています。

2015.07.14 学びのマルシェ #02 in “だるまだるま”

 2回目開催の「学びのマルシェ」。今回は観音塚考古資料館の館長を講師にお迎えしまして、「古墳時代の上毛野国(群馬)」と題してお話しいただきました。サブタイトルは、「観音塚古墳の出土品等に見る郷土の古代史」です。

 古墳時代の主な出来事から始まりまして、上毛野国古墳時代の様子のお話がありました。古墳時代はけっこう記録が曖昧らしく(まだ文字がなかったから??)、たしかに飛鳥時代なんかと比べて印象が薄い時代ような気がしますね。しかし!、倭国の大乱から卑弥呼の登場、磐井の乱から仏教伝来と、古墳時代はビッグイベント目白押しの熱い時代だったんです。もちろん、ここ上毛野国古墳時代は熱かった! 東日本屈指の有力地帯となっていて、蝦夷討伐の最前線。何でも総司令官クラスがここに駐屯していたのだそう。渡来人も多く来ていて、今も渡来系の血脈は大阪に次いで全国で2番目に多いらしいです(道理で威勢の良さも似てる訳だ)。資源が豊富だったことと、山々の様子が朝鮮半島の地形と良く似ていたことが、どうやら渡来人が多くいた理由のようです。

 何にせよ、当時の上毛野国の重要さは古墳の数の多さからも明らかですね、全国16万基のうち、群馬に1万2千基もあるんですから。ちなみに、多胡碑に書かれた「羊」さんは、この頃の市長クラスの方だったようですよ。

 講師の説によると、当時の上毛野国の男性3人に1人は戦士(兵士)だったかもしれないとのこと。そして、そこから(これも講師の説ですが)、戦争で男性が不在になりがちで留守を守る奥さんの役目がとても大切だったところから、「かかあ天下」の風土が生まれたのかもしれない、とのことです。頷ける話ですね。養蚕時代のエピソードも、相当説得力がありますが、どちらにしても群馬の奥様は天下一品(ラーメンでなく)だということでは、一貫していますね。

 

 さてさて、古代ロマンに胸を膨らませながら話は、豪族制度の仕組み、上毛野と渡来人、知っておきたい上毛野国のこと、観音塚古墳等の概要と続きまして、最後に出土品を紹介していただき、あっーという間に2時間が終了。

 次回も楽しみです。

 

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